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小さなお茶会(1)
あらすじ
本書の中にも使われていますが、「時が満ちる」という言葉があります。 「ぷりん」と「もっぷ」という猫の夫婦が紡ぎ出し、多くの人々の心を豊かに満たした不朽のメルヘン『小さなお茶会』は、いろいろな意味で「時が満ちる」ことで結晶した作品です。 少女マンガが、少女をきらびやかに飾るための作品から、少女の、さらには人間の心の揺らぎに沿った作品へと深化していったとき、『小さなお茶会』は誕生しました。 当時、『ぷりん』と「もっぷ」の夫婦が繰り広げる、繊細で、豊かで、優しく、温かく、そして不思議な世界に多くの人が魅了され、癒されました。 また華麗に描きあげられた私たちの宇宙の不思議に慄かされ、驚かされました。 この時、『小さなお茶会』は少女マンガの到達点という、「時を満たした」作品として誕生し、少女マンガの枠を軽やかに超える普遍的な感動を与えてくれました。 そして今、再びこの作品の時が満ちてきました。 私たちはとても生きにくい時代にいます。 どこか窮屈で、孤独で、ともすれば自分自身の時を失いがちです。 そんな索漠とした思いを抱くとき、再びこの作品の輝きが、私たちにおりてきて、豊かに私たちを照らしなおしてくれます。 懐かしく、温かく、時にはぞっとするように……。 初めての方も、再読の方も、「ぷりんともっぷ」の世界の扉を開けれてください。不朽のメルヘンだけが持つ至高の世界が待っています。
あらすじ
本書の中にも使われていますが、「時が満ちる」という言葉があります。 「ぷりん」と「もっぷ」という猫の夫婦が紡ぎ出し、多くの人々の心を豊かに満たした不朽のメルヘン『小さなお茶会』は、いろいろな意味で「時が満ちる」ことで結晶した作品です。 少女マンガが、少女をきらびやかに飾るための作品から、少女の、さらには人間の心の揺らぎに沿った作品へと深化していったとき、『小さなお茶会』は誕生しました。 当時、『ぷりん』と「もっぷ」の夫婦が繰り広げる、繊細で、豊かで、優しく、温かく、そして不思議な世界に多くの人が魅了され、癒されました。 また華麗に描きあげられた私たちの宇宙の不思議に慄かされ、驚かされました。 この時、『小さなお茶会』は少女マンガの到達点という、「時を満たした」作品として誕生し、少女マンガの枠を軽やかに超える普遍的な感動を与えてくれました。 そして今、再びこの作品の時が満ちてきました。 私たちはとても生きにくい時代にいます。 どこか窮屈で、孤独で、ともすれば自分自身の時を失いがちです。 そんな索漠とした思いを抱くとき、再びこの作品の輝きが、私たちにおりてきて、豊かに私たちを照らしなおしてくれます。 懐かしく、温かく、時にはぞっとするように……。 初めての方も、再読の方も、「ぷりんともっぷ」の世界の扉を開けれてください。不朽のメルヘンだけが持つ至高の世界が待っています。
シリーズ
小さなお茶会(2)
「ぷりん」と「もっぷ」という猫の夫婦が紡ぎ出す世界の扉を開けていただきありがとうございます。 この世界は、暖かさとやさしさに満ちあふれています。 さりげないいたわりと、不思議なものごとへの驚きと、ふとしてきらめく世界の輝かしさが広がっています。 しかし、以上のように形容詞過多な不毛の文章でご紹介するよりも、この世界の案内人には、非常に素晴らしい先達がたくさんおられます。 「小さなお茶会」は読者のそれぞれの人、それぞれの心に多彩な光をあてていて、いろいろな深度でいろいろな世界が照らし出します。 どうかご自身の心の赴くまま、この世界でゆっくりとくつろいでください。 そして時には素晴らしい案内人さんたちの意見を聞き、いろいろな見方を発見してください。 「小さなお茶会」は多彩な見方を可能にする大きさ、豊かさを包み持っており、何が正解であり、何が間違っているなどということは全くありません。 あえて言えば、「小さなお茶会」を心ゆくまで楽しんでいただくこと、それが唯一の正解です。
小さなお茶会(3)
生きづらくてしょうがないと思っている世界をなんとか飛び越えようとして、しかも生きるということを輝かしく肯定したいときには、フィクションという表現形式が有効になるのかもしれません。 またさらに、このフィクションの中で、「愛」という一番大切な、しかし危うい営みを、優しく描き切るためにはファンタジーという形式がとてもよく似合うのでしょう。 「ぷりん」と「もっぷ」という猫の夫婦が紡ぎ出す世界は、ごく自然にファンタジーの形をとっています。 しかしこれは当時の少女漫画界にとっては、あまり類例のない、先駆的な冒険でした。 当時の雑誌に掲載されたショートストーリーは、どちらかというとストーリー漫画の間にはさまった、「箸休め」の要素が強かったように思われます。 恋愛ストーリーなどの、深刻な、あるいは心を揺り動かす長編作品の間で、ひと時の癒しを提供する位置づけが多かったように思えます。 しかし、猫十字社という天才は、このショートストーリーのジャンルに、確固とした作品世界を描き出しました。 これは客観的にみると大変な冒険であり、挑戦ですが、彼女はこの冒険を危険とも思わず、ごく自然体で描き出していきました。 「小さなお茶会」は、まさに時代を画し、時代を超える傑作ファンタジー作品として成立しています。 そして、その作品世界は時を越えて、普遍的な輝きを放っています。
小さなお茶会(4)
「小さなお茶会」は1978年から1987年の間に、『花とゆめ(白泉社)』で連載されました。 猫十字社は同時に『Lala(白泉社)』でも『黒のモンモン組』という、こちらも時代を先取りしたギャグ作品を連載していました。 『小さなお茶会』の作品世界は極めて精緻です。 これをつくり上げるためには、当然、極度の集中力と、尋常でない閃きが前提となります。 また、『黒のモンモン組』はとてもシュールなギャグ作品です。 ギャグ作品は価値観の破壊という側面を持ち、こちらも執筆にはとてつもない破壊と創造のエネルギーを必要とします。 『花とゆめ』は月2回刊、『Lala』は月刊でしたが、特に月の後半、20日売りの『花とゆめ』と24日の『Lala』の間には、わずか4日しかありません。 このそれぞれに傑出した作品を『落とす(締め切りに間に合わない)』ことなく続けていけた、ということ、このことだけとってみても、『時が満ちて』エネルギーがあふれ出て、この両作品が祝福されていたことを示しています。 今では考えられないような、締め切り時のエピソードがあります。 全精力を使い果たした猫十字社氏は、当時住んでいたM市発の特急『あずさ号』の出発ホームに行き、原稿を人のよさそうなお客さんを物色して手渡します。 一方、新宿駅では担当が猫十字社氏から連絡のあった人相風体のお客さんを見つけ出し、平身低頭して原稿を受領していました。 これで、一回も事故がない、という時代でした。 この時代がこの「小さなお茶会」という作品を生み出し、注がれたエネルギーは質、量ともに想像を絶しています。 『時が満ちた』としか言いようがない奇跡的な爆発力が作品世界を豊かに彩ります。
小さなお茶会(5)
「小さなお茶会」が生まれた幸運は、猫十字社という一人の優れた才能が、1978年から1987年という時代に活動したという事実からも述べることができます。 象徴的な出来事として、今では当たり前になっているコンビニの終夜営業を顧みます。 セブンイレブンが第一号店を開店したのが1974年でした。 そしてその後この店舗形態はあっという間に全国に広まり、1987年には、国内で3000店舗に到達しました。 闇に閉ざされていた夜の街が、全国至る所で光にさらされ始めたのです。 闇は光に侵食され、今までの価値観が大きく転換しました。 様々な権威が崩れ、差別や闇の社会が明るみに出て糾弾され、女性の地位は向上し始めましたが、他方で家族という単位が崩壊をはじめ、様々な矛盾に直面するようになりました。 非常に強力な破壊と創造の力がこの時代に噴出しました。 そしてやがて、このエネルギーはバブル経済を招来し、狂気を生みます。 『小さなお茶会』はこのようなエネルギーの磁場に誕生しました。 この珠玉のメルヘンがたたえる豊かな世界は、このとめどもないエネルギーとは無関係ではありません。 しかし、すべてが光にさらされる、という事態は、一人一人の人間を孤独に追い込むことをも意味します。 この孤独は、現在に至るまで、より深く、より強く人々の心をとらえています。 『小さなお茶会』はこの孤独な魂にかけがえのない癒しを提供し続けています。
小さなお茶会(6)
前巻から、巻末に比較的長いページ数のストーリー作品をつけています。 これらの作品群は、主に「小さなお茶会」本編を『花とゆめ』本誌に連載する傍ら、不定期に発行されていた『花とゆめ』増刊号に掲載されたものになります。 本編の『小さなお茶会』のページ数の短さは必然です。 作者は、極度の緊張と集中力で、この短いページに豊かに世界を凝縮しています。 ここで描かれるのは、人が生きることのいろいろな『局面』です。 この『局面』はきらびやかな宝石のように輝いていますが、輝きだけでは描ききれないものがあります。 掲載された『番外編』は、本編では描き切れなかった時間と、宇宙への広がりがや、心の機微や綾などがゆったりと描かれ、それぞれ心を打つ作品になっています。 これ以上語ることは、読者の皆さん一人一人の世界に踏み込むことになるので差し控えたいと思いますが、形式のうえで着目したいのは、そのページ数です。 通常、ストーリー漫画は16べージ、32ページ前後で構成されます。 新人登用の漫画は、このページ数を前提に、イントロ、展開、クライマックスを割り振る、と指導されています。 しかし、猫十字社はこの形式を軽やかに飛び越えて作品を仕立て上げます。 猫十字社には教科書がありません。 編集部が要請した任意のページ数の中で、創作意欲の赴くままに描き切り、独自の作品世界を構築しています。 各巻巻末に載せた『小さなお茶会』の番外編にもご注目ください。 短いページの本編では描き切れない、珠玉の『お話し』がゆったりと、楽しく綴られています。
小さなお茶会(7)
「小さなお茶会」は10年近い長い期間にわたって連載されていましたので、その画風は前半と、後半とでは微妙に変化しています。 植物たちの表現もだいぶ変わっています。 初期の頃は、植物たちの生命力の噴出のままに、植物たちの旺盛な生命力に同化するかのように、あふれるように豊穣な絵柄で描かれていました。 しかしやがて徐々に余剰な線がそぎ落とされていき、本質的な線描が美しいタッチで描かれるようになります。 内容もまた、日常のふとした局面にきらりと光る光を切り取ったものから、時間とか、生とか死とか、より本質的な次元へと沈潜していきます。 このような深化の中で作品は完成度を高め、比類ない表現に到達します。 7巻に収めた『月の光のオルゴール』はそのような到達点の一つだと思います。 それぞれの方が、思い思いに本編を楽しんでいただきたいと思いますが、猫十字社から伺った印象的なエピソードがあります。 猫十字社氏の出身は長野県I市。 数々の文化人を輩出したきわめて洗練された街です。 この街の最先端の文化を生き抜いてこられた猫十字社の父上は、猫十字社の創作活動を一定の距離を置いて見守ってこられたのですが、本編を読まれ「お前もこういう作品を書くようになったのか』と喜ばれたそうです。 『小さなお茶会』は漫画というジャンルを超えて、世代と時を超えて、「普遍」を獲得したのだ、と言えるのかもしれません。
小さなお茶会(8)
ここまで「小さなお茶会」にお付き合い頂き、ありがとうございました。 前にも少し触れましたが、この作品が幕を閉じようとしていた時、社会はバブル経済に陥り、人々は大切なことを見失い、狂い始めました。 欲望が際限なく増殖し、『小さなお茶会』が大切に綴ってきた世界の輝きは砕けていきました。 この頃、人々の生活の安定と幸福を担保すると信じられてきた銀行のある頭取は、業務遂行のためには向こう傷を恐れるな、と檄を飛ばしています。 収益が、法や倫理に優先され、倫理観は崩壊しました。 この狂気の影は現代にも影を落としています。 そして人々が絶望的な喪失感に捕らわれるとき、救いを求めて『小さなお茶会』が何度も呼び戻されてくるのかもしれません。 『小さなお茶会』の終了後、猫十字社はメルヘンとギャグの形式にこだわることなく、さまざまなジャンルに挑戦していきました。 『華本さんちのご兄弟』という切ないまでに清々しい青春ラブストーリー、夢というもう一つのリアルな現実を幻想的に綴った『夢売り』、一方、メルヘン世界もより洗練され、その代表作のいくつかは『泡と兎と首飾り』にまとめられています。 そして、空前絶後の壮大なファンタジー作品『幻獣の国物語』が大ヒット作となりました。 『小さなお茶会』が終わっても、猫十字社の多彩な世界は大きく広がっています。 いずれも『クイーンズセレクションシリーズ』でお読みいただくことができます。